みうたつの畑は単に地理的に要所であるのではなく、みうたつ教の宗派全ての聖地であることが最大の問題である。このことがみうたつ畑の帰属をめぐる紛争の火種となっており、ホーカ問題の解決を一層困難にしている。
かつてはながねぎの収穫ための畑であったが、過激派であり、かつ正統教に従属しない形をとっているながさわしゅう、またその一派によって焼き尽くされた。さとうみのるはこれによる帰還を求めたが、現在は煤の大地となっている。
ホーカにより焚べられたみう民やながねぎたちは糞へと姿を変え、モン教徒によって不可侵領域となった畑を平地に変えている。
畑には聖みうたつ眷属出身の農民となったみうたつ教信者たちが彷徨い、ながねぎの復活のために現在も祈祷を続けている。
(『みうたつ白書』〔810年〕による)

みち八一○沿いにある畑であり、予言者ながさわしゅうが唯一神みうらたつおの啓示を受けた場所でもある。
紀元前7世紀頃ではたつ会議の議題として取り上げられた。
森に囲まれた小さなタツランドの畑に過ぎなかったが、教徒は古道による伐採を行った。
(その村はながさわしゅうより以前に生まれた予言者ながましゅうが唱えた「言うほど小便って排泄か?」を信仰しており、肥料の糞便を大罪と認めている。)
紀元前8世紀頃には以前の810倍ほどの面積になり、教徒たちの愚行に憤怒の意を唱えた予言者ながさわしゅうによって異教徒の排除を兼ねて放火を蒙る。
その時の炎がみうたつ教の聖炎である。これによって『なかう』が刻まれ、聖炎は始まりの火としてみうたつの祠に保存されている。
異教の村人たちはながましゅうと共に焼き尽くされた。また「言うほど小便って排泄か?」はみうらたつおによって否定され小便は排泄というケツ論が残った。

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